1:07 09 2012 

知人の音楽家、もしくはjazzmanと呼んだほうが相応しい人間から、文章をたのまれていて、今日渡すことができた。
仕事の合間合間で書いていたため、数日を要し、そんなに簡単な作業ではなかったけれど、とても喜んでもらい、ほっとしている。
書きたいことが胸にまとまってからは、一気に行ける。ただ、そこから先の細かな言葉の選び直しや、言葉を引いて行く作業に多くの時間を割いた。
大変ではあるのだけれど、何かを丁寧に仕上げて行く作業工程は好きなほうなのかもしれない。仕事も同じだが、逃げずにこだわり続けると、いい結果が得られる。
部下に対し、仕事はめげずにこだわり続け修正・改善を続けると必ず結果が着いてくる、と度々言い聞かせるが、たいていの場合、みな、きょとんとしている。
若いころは、文章を書く際はいろいろと気をめぐらせすぎて、言葉数の多い、説明的文章になりすぎるきらいがあった。しかし歳を経るにつれ、言葉を引いて行く事に若かりし頃に抱えていたような苦悩みたいなものが薄れてきたように思う。切るものはバサリと切れる自分がいる。これは、歳を経たことによる自分という器の熟度から来ているものなのか、それとも、単純な感覚の鈍化から来ているのか、、気になる点ではある。

ふと考えると、文章を書くことは嫌いではない。父親の影響かも知れず、自分の父親は、絵も描くが、文章も書いていた。その昔、自分が小学校へ上がる前であるが、ヨットの雑誌に寄稿し、それが何度か採用され実際の誌面になっていたことをふと思い出す。確か、国際児童年という世界中の貧しい子供を救うためのチャリティーが盛んになった年代があったが、恐らく70年代の後半であったかと思う、父親はチャリティーに寄付するためのt-shirtsも作っていた覚えがある。両袖の長さが微妙に違うt-shirtsで、片方の袖が若干短くなって、袖が短くなりコストが減った分をチャリティーに回すというコンセプトだった。そのコンセプトの説明が英文で前面に書いてあるおしゃれなt-shirtsだった。
ただ、斬新過ぎたのか、あまり買ってもらえずに、家に沢山あまっていて、暫くは家族の寝巻き代わりになっていた記憶もある。5歳ぐらいの自分も、ほとんどワンピース状態でそのt-shirtsを着て寝た記憶もおぼろげながらある。