1:25 04 2011


日記帳は毎年年初に買っている。しかし、年々、書く量が減ってきている。日々の仕事量とも相関関係にはあるため、いたし方ないとも思う。
ただ、頭の中を言語化する行為自体は好きであるし、自分の思考の整理に繋がる。

統一選挙後半戦の翌日のため、選挙結果を紙面に反映するためか、新聞は薄かった。また、紙面にはいつもより週刊誌などの広告スペースが多めに取られている、これも選挙翌日の新聞特有の事例か。広告スペースの週刊誌の見出しには原発の危険度を煽る記事が目立つ。危険な状態があたかも収束へ着実に向かっているかのように世論が安易に錯覚してしまうのはそれはそれで危険であるが、部数の為にセンセーショナルに煽り立てるのも良くない、そもそもそれは商業ベースで並べ立てたれた言葉であって、ジャーナリズムではない。無関心でいるのは良くないが、氾濫する情報に簡単に感化されていくのもまずい。やはり、日々、自分の見識と感覚を磨く努力を続けて行くこと、それは今の国情から見ても使命に近いな、と思う。